広島県の忠海町に行ってみた。(1) [スケッチ]
忠海町は広島県竹原市の東部に位置し
その昔、三次藩の蔵米積出港であったり
北前船の寄港地として繁栄したそうです。
第二次大戦時、毒ガスを製造していた大久野島は
忠海港からフェリーで約15分程の所にあります。
港にはJR呉線の踏切横に当時の繁栄が偲ばれる
常夜燈が今でもあります。
常夜燈には文化十三年と彫られてありました。
文化十三年というと1816年ということらしく、
既に190年以上この港を見守って来たことになります。
この常夜燈を作った人の名も彫られてあり、「石工 尾道 塚脇和助」
とあります。
自分の作ったものが190年以上経ってもまだ変わらぬ形で
残っていると知ったとしたらさぞかし嬉しいでしょうねー。
その昔、三次藩の蔵米積出港であったり
北前船の寄港地として繁栄したそうです。
第二次大戦時、毒ガスを製造していた大久野島は
忠海港からフェリーで約15分程の所にあります。
港にはJR呉線の踏切横に当時の繁栄が偲ばれる
常夜燈が今でもあります。
常夜燈には文化十三年と彫られてありました。
文化十三年というと1816年ということらしく、
既に190年以上この港を見守って来たことになります。
この常夜燈を作った人の名も彫られてあり、「石工 尾道 塚脇和助」
とあります。
自分の作ったものが190年以上経ってもまだ変わらぬ形で
残っていると知ったとしたらさぞかし嬉しいでしょうねー。
コメント 0